いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
キリスト教というと、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。白いきれいなキリスト教の教会、あるいはヨーロッパなどの荘厳なキリスト教の教会堂を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。大きな教会であれ、小さな教会であれ、だいたい十字架がどこかにあります。ある教会ではそれが屋根の上にあります。入り口にもまた教会堂の中にも十字架は見つけることができます。それは、十字架が教会にとって、とっても大切な意味をもっているからです。
十字架とは昔ローマの国が用いていた、死刑の道具です。最もむごい処刑の道具の一つだと言われています。その十字架に神の独り子、イエス・キリストがおかかりになり、死んでくださいました。
天の父なる神は、一番大切な御自分の独り子を十字架にかけて犠牲にされました。それは、わたしたちと神様の間にある大きなわだかまりを処理するためです。わたしたちは、神様に対して申し訳ないことを数々行ってきています。だから、神様のもとに帰って行くことに躊躇を覚えます。
そんな私たちに、神様はおっしゃいます。「躊躇することはない。わたしのふところに帰って来なさい。わたしはあなたを子供として迎える。その証拠に、わたしの一番大事な独り子、イエス・キリストにあなたがたの一切の罪を背負わせ、それを十字架の上で処理した。だから、イエス・キリストの十字架を見て、わたしの本心を信じて、わたしのふところに帰っていらっしゃい」。ここに神の愛があらわされています。