いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
イエス・キリストのお話です。伝道者パウロがイエス・キリストのことをあるところでこう紹介しています。新約聖書のフィリピの信徒への手紙の2章です。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2:6-7)
イエス・キリストは、約2000年前最初のクリスマスの日にマリアという女性からお生まれになりました。でもマリアからお生まれになる前から、それどころか、天地が造られる前からキリストは神であられました。天地をお造りになった神御自身であられたのです。
それがイエス・キリストというお方です。この神であられる方が、いっとき、神としての栄光も、神としての絶対的な力も捨てて私たちと同じ人間になってくださった。これが聖書に書かれていることです。そのことをパウロは、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思われなかった」と言っています。神としての栄光ある身分に固執しない。執着しない、ということです。
私たちはこのキリストと比べて、いかに自分に執着するものか。自分の地位や名声や立場にしがみつくことの多い者です。しかし、神は違います。御自分の愛を実現するためには、神としての栄光、栄誉をもかなぐり捨てることがお出来になる。それが神というお方です。