いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
私はキリスト教会の牧師をしていますが、最初にイエス・キリストのお名前を聞いたのは、小学校一年の夏です。当時私は、扁桃腺を取る手術で、ある古いカトリックの病院に入院していました。その病院はカトリックの病院でしたから、病院の廊下などにイエス・キリストの絵がかけられていました。どんな絵だったかよく覚えておりませんが、覚えているのはその時私を背負ってくれていた祖母の言葉です。薄暗い廊下にかけられていたイエス・キリストの絵を見ながら、背中の私に向かって祖母はこう言いました。
「この方は、イエス・キリストと言う御方でわたしたちのために十字架にかかって死んでくださったの…」と。
当時七歳の私は特別な感情も起こらず、その言葉を聞いていました。覚えているのは、私を背負う祖母の背中とその声とその言葉、そして薄暗い廊下だった、ということです。
そのとき、私の心の中では特別のことは何も起こりませんでした。でもあの時、すでにイエス・キリストは私のそばにいてくださり、私のことを見ておられた。その時より前も、その時も、それから後今にいたるまで、イエス・キリストは私のことを見守り続けて下さっている。そのことは確かです。
今日、イエス・キリストについてのお話を聞いているあなたも同じです。昨日のあなたも、今イエス・キリストについて聞いているあなたにも、明日のあなたにも、イエス・キリストはあなたに近くいてくださいます。