ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
新約聖書のヤコブの手紙第4章17節に次のように記されています。
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。」
この御言葉は私たちの心に突き刺さる御言葉ではないでしょうか?聖書は他の個所で、「罪とは、法に背くことです」と記しています(1ヨハネ3:4)。これは分かりやすい罪の定義であると思います。しかしヤコブは、人は何もしなくても罪を犯すことを私たちに教えてくれます。「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」。このヤコブの言葉の背景には、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」という主イエスの御言葉があります(マタイ7:12)。「なすべき善」とは、自分が人にしてもらいたいと思うことであるのです。「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」。この御言葉は、私たちになすべき善が何であるのかを考えさせ、それを見いだし、積極的に行うことを求めています。
私は法に背いていないから大丈夫というのではなくて、なすべき善を知りながら、行わないとき、それがその人にとって罪となるのです。この御言葉を心に留めて、なすべき善を行う者たちでありたいと願います。