いかがお過ごしでしたか。仙台カナン教会の代理牧師の首藤です。
ローマ帝国から派遣された総督ピラトは、ゴルゴダの丘に2人の犯罪人と並んで、一度は無実だと宣告したイエスも十字架につけました。イエスの頭上には、ピラトの命令で「ユダヤ人の王」という札が掲げらました。
それに反対する大祭司や律法学者たちは「自分を救ってみろ」と言ってイエスを侮辱しましたし、ユダヤの議員たちはあざ笑って見ていました。一方、扇動された群衆は十字架の下でイエスの服をくじ引きで分け合っていました。なんという浅ましさではないでしょうか。人々の目には、ここには救い主の権威も誉れもないように見えました。
天の父なる神はこのイエスの十字架を敗北ではなく、「救いの成就・完成」という勝利にされました。ですから、イエスの十字架の意味を理解できない人々にはイエスの死は無駄ですが、その意味を理解できた者には喜びであり希望となりました。
あなたはイエスの服を分け合う証人になりますか、それとも、救いの喜びと希望をくださるイエスの証人となりますか。