お変わりありませんか。仙台カナン教会の代理牧師の首藤です。
嘲笑と侮辱と鞭打ちで肉体的にも精神的にも弱りきったイエスに、ゴルゴダの丘まで木の十字架を運ばせることになりました。なんとひどい仕打ちでしょうか。
ところが、たまたまエルサレムに来ていたキレネ人シモンという人を見かけたので、そのシモンにイエスの十字架を背負わせて運ばせることにしました。この光景を、イエスの弟子たちは恐れをなし姿を隠して遠巻きにして見ているだけでしたが、婦人たちはイエスの後に従いました。
この結果、イエスの十字架の死が語られる度にキレネ人シモンという名が、「イエスの十字架をゴルゴダまで背負った証人」として必ず登場することになりました。キリスト教会はこのような「生きた証人たちによる証言」の歴史なんです。
その中にいるわたしたちこそ、わたしたちの罪のために十字架にかけられたこと、そして、わたしたちに永遠の命に約束されたことを歴史的事実として証言する「生きた証人」になりたいではありませんか。