熊田なみ子のほほえみトーク 2011年7月12日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

心がときめくことばを

 私たちは言葉で考え、言葉を交わしながら今日も生きています。ひとりぼっちで沈黙が長く続くと胸の中に言葉が溢れて苦しくなってしまいますね。お互いに言葉を交し合う存在として生きている私たち。
 先日も番組取材で、出会った言葉がありました。瞬間的にその言葉が自分に迫ってくるという経験がありますか?それはこんな言葉でした。「母さんが弟をギュッ 次はボクかな ドッキドキ!」その街で、21世紀に向かう子供達の言葉を集めたとのことですが、なんとも微笑ましい姿。お兄ちゃんは次にギュッと抱きしめてくれる温かなお母さんの手を期待してドキドキしながら待っているのです。弟の手前、照れくさいし抱っこして!なんてとても言えませんからね。なんて可愛いのでしょう。ほんの一言なのに、その言葉は私の心をときめかせてくれました。

 私の本棚ある「ほめことばの辞典」(白水社)。随分前に番組作りのためにパートナーがプレゼントしてくれました。今日も私たちは色々な言葉を聞きながら、しゃべりながら生きいていますが、ときめく素敵な言葉ではなくて、心無いたった一言がその日一日を台無しにしてしまうこともあります。その結果、許せない相手の記憶が自分を苦しめてしまうのです。辞典の中にこんな言葉がありました。この辞典は色々な項目に分かれているのですが「崇拝」という所です。マーク・トウェイン「アダムとイブの日記」大久保博訳より。

「しなやかで、すらりとしていて、小ぎれいで、ふくよかで、かたちがよく、敏捷で、しかも優雅なのだ・あるとき彼女は大理石のように真っ白な姿で、全身に陽の光を浴びながら、丸い岩の上に立っていた。そして、若々しい顔を後ろにそらし、片手を目の上にかざして、空とぶ鳥の姿をじっと見つめていた。そして、その時、私は知ったのだ。彼女は美しいと。」

 創世記1-3章は、天地創造と人間の堕落物語。アダムが(男)が言います。「これこそ私の骨の骨、肉の肉」と言ってエバ(女)を絶賛するのですが、蛇に騙されて罪を犯した時、同じ人間が発したとは思えない言葉をアダムが吐き捨てるのです。まるで罪の原因が自分にはないかのようにエバのせいにするのです。この堕落の結果、私たちの心から出てくる言葉も悲惨なものになりました。どこまでも罪深い存在なので、相手を責めていきます。

 この罪からの救いの道、それは聖書によればイエスさまの救いをいただく道です。私たちの口の言葉、心の思い、行い、全てを回復へと導いてくださるのです。あなたもキリスト教会へどうぞ。救い主イエスさまをいただいてください。愛される喜びの中で、私たちの心はだんだん開かれていきます。
 さて、今日も心ときめく言葉に出会えるでしょうか?日々の人間関係、イエスさまの救いをいただく時本当の解決に導かれます。  くまだなみこ

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