私が初めてキリスト教会に行き始めた頃のこと。夜開かれる集会の日を間違っているのに気づかなくて、おお張り切りで急ぎ足。夕方到着してしまいました。そんな私を恩師の先生ご夫妻は気持ちよく迎えてくださいました。急に一人分増えてしまった食卓なのにさりげなく一緒に夕食を。当時はまだ洗礼も受けていませんし、何もよくわからない女の子にとって、その経験はイエスさまが共にいらっしゃる教会の温かな雰囲気を実感したひとときとなりました。
今思い返すと、夕食前なのに…と恥ずかしいのですが結婚前でしたから主婦の忙しさもよくわかっていなかったのですね。私にとっての最初の牧師館の印象は、その後もずっと記憶に留まり続けています。そして、なんと私自身が牧師館に住むことになった今も、同じようにはできなくても自分なりの笑顔のおもてなしをといつも思っています。
そしてつい先日、その懐かしい光景が自分に戻って来たような経験をしました。築数十年以上と思われる味わい深い牧師館。玄関を入ると親元を離れた女子学生さんが一緒にいて、なんだか昔の自分自身のようでした。神様の家族はとっても不思議なことなのですが、初対面でも昔からの友人のようです。牧師夫人が腕をふるって新鮮な食材の美味しい手料理をご馳走してくださいました。舌鼓を打ちながら心も身体も温まりました。「見よ 兄弟が共に座っている。なんという恵み。なんという喜び。」(133:1)と詩編にありますが、まさにそのような時でした。日本中いや世界中どこにいても神様の家族として生きることの恵みと喜びが各地にあります。
一歩も教会に入ったことのない方々にとって、外から眺めた教会や牧師館はどうなっているのかよくわかりません。それにたった一人では入りにくいという声も聞きます。昨日も一人の女性が玄関にいらっしゃったので教会堂を見学していただきました。オルガンの音色を聞いたり、お互いにいろいろなお話もしました。話しているうちに子供の頃ラジオから流れてくる聖書のお話をずっと聴いていたというのです。聞きながらとっても嬉しくなった私は早速「あさのことば」のことを伝え、テレフォンメッセージを聴いていただきました。
12月頃クリスマスの案内を見て入りたかったけれど、一歩踏み出す勇気がなかった、今日はたまたま図書館に用事があってと通りがかったとのこと。ずっと心の中で考えていたけれど踏み出すチャンスがなかった、でも思い切って日曜日の礼拝に一度出てみようとお話されました。新しい方々がお見えになると教会ではとっても皆が喜びますとお伝えするとふっと涙ぐんでいらっしゃいました。
きっと神様が愛しておられ、きっかけをくださり、招いてくださっているのですね。祈りながら待っていましょう。きっといつか教会への一歩を踏み出してくださるでしょう、、、と思っていたら、次の日曜日、嬉しいことにその方、Mさんは可愛いぬいぐるみをもっていらっしゃいました。「赤ちゃんがいると聞いたのでこれどうぞ!』私は一緒に礼拝の席について賛美歌を歌い、祈り、説教を聴きながら神様に心から感謝しました。
教会堂と牧師館、十字架を掲げて各地に建てられ人々が集まります。地域での人間関係が希薄で、関わりの難しさを嘆く声も聞かれます。これからも一人ひとりを大切にお招きくださるイエス様に信頼して牧師館で笑顔のおもてなしをしながら神様の家族をお迎えしたいと祈っています。あなたも是非お近くの教会を訪ねてみてくださいね。場所がわからなかったり、一人では入りにくい時は、こちらにメールをください。相談にのります。 くまだなみこ