ふくいんのなみ5月号の大震災の記事には、私が使っている片隅のnamiデスクの写真も載っていますよ。とにかく揺れが激しかったのでメチャメチャです。まだご覧になっていないリスナーの皆様、どうぞ月刊誌を申し込んでくださいね。
さて今日は、被災された皆様からのお便り紹介です。
仙台市 Sさん(男性)
「前略 この度の東日本大震災による被災地としてスタッフの皆様のお心遣い大変有難く思います。私の地域は、電気、ガス、水道、固定電話の不通により、ライフラインの閉鎖、今まで当たり前の様に生活していたものが一瞬にして奪われ、友は津波に攫われ、帰らぬ人となりました。神は情けを持って天に召されていったのだと思いつつも涙が出て止まりません。生きるということ、生きているという事はどんなに素晴らしいものなのか改めて痛感しております。食事をするにも水は必要です。夜は明かりも必要です。一生に一度かもしれない貴重な体験をしたのかもしれません。福島の方々におかれましても体内被曝という恐怖におかされさぞかし不安な日々を過ごされているかとお察し致します。私どもは未来(神)を信じ、過去を忘れずに、心(精神)を強くもって生きなければいけないと思います。亡き友の分も生きて、社会(神)への貢献をしていかねばと思っています(後略)。ラジオも友です。」
仙台市 Sさん(女性)
カード送っていただき有難うございました。疲弊した心身に少しだけ光が差したような気が致します。住所でお分かりかと思いますが私の家は全滅です。想い出のある家財諸共流失しました。もう私には何も残っていません。老父は入院していたため無事でした。人間だけは助かりました。それはそれで幸いなのか?不幸なのか?私にはさっぱりわかりません。全てを失って大変生活に困窮していますが、何故私は「生きているのか」「生かされているのか」いっそのこと震災で死んだほうが良かったのではないか、こんなに苦しむならと自問しています。私はもうどうやって生きていけば良いのかわかりません。どうしたら良いのかわかりません。「天を恨まず」といった階上中学校の卒業生の男子のようには純粋にはとてもなれません。試練というには、あまりにも過酷です。耐えられません。余震に恐怖し、一人で泣いています。世間は冷たい。誰も助けてくれません。生きていてもあまり良い事は無い気がします。」
まだまだお便りが来ています。今日は文字放送で読んでくださる皆様へもお便りをお届け致しました。6月14日と21日は、山下正雄ラジオ牧師と共に被災地取材報告を対談でお送り致します。 くまだなみこ盛岡市 Yさん(男性)
主の御名を賛美致します。先日は震災のお見舞いのお便りを有難うございました。うれしく拝見致しました。私も今まで経験したことの無い巨大地震で2日間避難所で生活を送りました。私の出身は沿岸、釜石で、両親、親類等と一週間連絡が取れませんでしたが、その後、全員無事が確認できました。与えられた命、多くの人と協力し助け合う大切さを強く実感致しました。
沿岸部へ行く機会があり、状況を見てきましたが津波により堤防、市街地は完全に破壊され、廃墟となっており、これが現実ですが、とても信じられない光景でした。でも全国、世界中から多くの人、物資の支援が来ており、とても有難く実感致します(後略)。