被災地の少女が、ローマ法王に質問したニュースが流れました。「なぜ、日本の子どもたちはこんなに悲しいめに遭わなければならないの?」というような質問。「私にもわかりません。でも私たちはあなたたちと一緒です…」このような答えではなかったかと思います。「なぜ?」と問いかけても、人間には答えられないのです。
今までも同じような叫びは、何度も何度も歴史上で繰り返されてきました。国々の歴史も、それぞれ一人ひとりの自分史も。誰も自分の思い通りにはいきません。東日本大震災後、私の身近な方々が旧約のヨブ記を開いています。まさに「なぜ?」というヨブの生涯。そこから私たちは自分の人生も見つめているのです。
「頑張ろう!負けちゃいけない!」と世界の国々も共に生きようと動いています。国々が敵対するのではなく、愛しあい助け合う支援に変わってきました。なんと不思議な逆転でしょうか?悲しみが平和をもたらすのですから。でも自分の小さな歩みの中でも、厳しい試練の嵐がやってくる時、逆転を実感することがあります。
3・11からの日本は大きく変わり、「何ができるのでしょうか?」と皆が考え行動しています。私の心に響くのは「キリストにはかえられません」という言葉。困難や悲しみが深いほど、イエスさまがいらっしゃることが心の中に大きくなり、神様と真剣に向かい合うように変えられます。「神様なぜですか?」というように。
「キリストにはかえられません。世の宝もまた富も。このお方が私に代わって死んだゆえです。世の楽しみよされ。世の誉れよ行け。キリストには代えられません。世の何者も」(賛美歌U195)と歌詞が響いてきます。ルカさんもお話されていますが、メディア・ミニストリーにも今の時、東北にこのイエスさまを届けることをスタッフ全員が心を合わせて祈っています。では、最後にご一緒に「キリストにはかえられません」を佐々木冬彦さんのハープ演奏で聴きましょう。 くまだなみこ