3月1日の番組でお話しましたE君からお返事が来ました。メールをご紹介します。
「僕自身の精神的な病により、神様を離れた生活がここ数年続いていたのですが、生死の境をさまようような肉体の病にかかって、ようやく神様のもとに戻って来られました。離れていた神様は見捨てられなかったのです。放蕩息子のたとえや、99匹の羊の話を思い出しながら、涙ながらに感謝の祈りをささげました。もちろん、病による試練はつらいものです。
病気が再発した時には、医師から治療法はありませんと宣告され、絶望の淵に落とされたのですが、周りの人の尽力により、新しい病院が見つかり、無事、治療を行うことができました。神様は、この世を支配しておられ、その為してくださる御業は人間では思いもつかないものです。病気を与えられたこと、再発という絶望の淵に追いやられるようなことがあっても、決して神様は見放されなかった。とにかく、感謝、感謝です。天のお父さん、いつも守り導いて下さり、ありがとうございます。」と、一生懸命書いてくださいました。
実は、この頂いたメールの前に脳の手術のことを書いてくださいました。
『僕は、脳の手術をしたので、麻酔がきれた後の痛みは、脳に包丁が刺さっているような痛みなのです。鎮痛剤もある間隔をおいてしか投与できないので、次の鎮痛剤の時間までは耐えるしかないのですが、そこで考えたのはイエス・キリストの十字架の痛みです。イエス様の痛みは、こんなものではないはずだと思って耐えました。そう思ったからといって痛みが和らぐわけではないのですが、イエス様ってすごいなぁ、と思っていました。病気の恵みはたくさんあり、神様のご計画の中にあったのだということがよくわかりました。ただ、そう思えるのは後になってからなのが残念です。弟子たちが荒波の中の小舟に乗っていて、オロオロとしていたように、僕も病気の渦中では不安で一杯でした。オロオロしないくらいの信仰を与えてください、とお祈りはしているのですが、将来に対する不安は今でもたくさんあります。
振り返ってみれば「あ、そういうことだったんだ。」と思って感謝の祈りを捧げますが、その渦中ではそうは思えません。再発時に、治療をしないと数ヶ月の命というところで、主治医から見放され不安な毎日だったのですがよい先生に巡りあうことが出来て、治療もうまくいき、こうやってメールが書けるのも神様の導きとしか思えません。今の先生からは、再発しても治療法はたくさんありますから、頑張ってみましょうといわれて、安心して生活しています。(後略)』
今、神様のご計画の続きを楽しみ!と言えるまでになったE君に私もたくさんのことを教えられました。 くまだなみこ
それでは番組の最後に、青森県のリスナー須藤あきこさんの詩をご紹介しましょう。
沈黙
宇宙は 沈黙している
そして 静かに 創造している
悲しみに耐えながら
苦しみに耐えながら
深く 呼吸し
ひそやかに 闇の中で
永遠を 創造している