おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
聖書には次の言葉があります。
「あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。」(詩編55編23節)
この言葉をかつて語った人は、それまで試練や困難があるごとにそれを主なる神に委ねて、守られてきました。そして、新たな試練に直面している時に、心の深みでこの試練においても神が支えて下さると信じて語ったのが、この言葉です。「今まで守って下さった神は、これからも守って下さる」。そういう確信は昔も今も大切です。
わたしが務めています教会は、高知県の改革派教会の中で、西の拠点とも言われる宿毛教会です。2011年で、宿毛教会は96年間の歩みをしてきたことになります。同じ教派の教会でも、牧師のいる近隣の教会まで車で3時間かかります。これだけ離れていますと、教会同士が日常的に直接会って支え合うことは難しいものです。それでも、宿毛教会は守られてきました。
牧師であるわたしは、赴任した3年前から教会でよく耳にする言葉があります。それは、「主にゆだねていきましょう。神様にお委ねして行きましょう」という言葉です。教会の人同士が日常の悩みや困難を打ち明けて語り合い、励まし合って、その会話の最後に「主にゆだねていきましょう」とよく語られます。自らが抱える悩みを神に委ねれば、必ず神が支えて解決して下さるという確信が伝わってきまして、とても印象的です。
よく語られる言葉というのは、その場の雰囲気を表す言葉ではないでしょうか。「主にゆだねていきましょう」と語って下さった人は、今抱えている問題はなお続いているのですが、しかし主にゆだねれば大丈夫、という平安を心の深みで持っておられます。その平安は長年の信仰生活で確かにされ続けて来たからこその、どっしりとした平安でした。その方にとって今抱える悩みや困難を主にゆだねたということは、まさにその時から、問題は解決され始めているのでしょう。こういった平安に生きられることは幸せなことではないでしょうか。
平安と反対のものは不安です。どれだけ対処してもなお心の深みで不安を持ち続けるというのは、切ないと思います。あれこれ手を打っても不安が消えない。わたし自身も神に頼ろうとしなかった時に不安が消えず、何をしても空しかった頃を思い出します。反省をするものです。
最初に朗読しました聖書の言葉、これは旧約聖書の詩編55編23節ですが、これを語った人は生涯この言葉から離れず生きようとしました。人がこのように生きることは、人の本来的な生き方です。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えて下さる。」
教会で日曜日に語られるメッセージはまさにこのようなメッセージです。わたしたちは主なる神に、重荷をゆだねて、平安を得て一週間を始めています。ラジオをお聞きの皆さんのお越しをお待ちしております。