おはようございます。高知教会の久保浩文です。
私達は家から一歩外に足を踏み出すと、何らかの人間関係、人と人との関わりの中で生きることを求められます。それは、社会人であろうと、学生であろうと、また、子供たちとの間でさえも変わりはないと思います。心許せる親しい人と語り合ったりしている時は楽しくて時が経つのも忘れるほどですが、反対に、気が合わない、反りが合わない人といる時はたとえ短い時間であっても苦痛に感じるものです。そして仕事ともなれば、気が合う、合わないなどとは言ってはいられません。どんな人とでも付き合っていかなければならないのです。私達が普段感じる疲れのうちには、肉体的疲れとともに、こういう人間関係からくる疲れも多いのではないでしょうか。しかしそのような中にあっても、自分をよく理解し受け入れてくれる友人が一人でもいると、人生はずいぶん違ってきます。
聖書にザアカイという人が出てきます。「この人は徴税人の頭で、金持ち」でした(ルカ19:1-10)。この当時パレスチナはローマ帝国の植民地で、徴税人とはローマ帝国のために同胞のユダヤ人から税金を徴収する人のことです。ローマ帝国の手先と見られていましたし、徴税の際に税を不正に高く取り立てることも常だったので、多くのユダヤ人からは「罪人」として見られていました。彼らは金持ちではあっても、社会的には嫌悪され差別された人たちでした。
ある時、ザアカイの住むエリコという町にイエス・キリストがおいでになりました。イエスの評判は高く、いつもまわりには群衆がついて回っていました。ザアカイも興味と関心からか、「イエスがどんな人か見よう」としたのですが、彼は背が低かったので、群衆に遮られて見ることができませんでした。誰もザアカイのために場所を設けてくれません。誰も同情しません。徴税人だからです。彼が人と関わりを持つのは、仕事として税を取る時だけです。ザアカイはしかたなくそばにあったいちじく桑の木に登って、イエスの到着を待ち構えました。いよいよイエスの姿が見え、近づいてきたと思ったその時です。イエスが上を見上げて、ザアカイに声をかけられたのです。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。今までに、こんな風に声をかけられたことなどなかったでしょう。ザアカイの家に泊まりたいなどというユダヤ人はひとりもいなかったはずです。一度も会ったこともないイエスからの突然のこの申し出に、ザアカイは喜び勇んでイエスを自宅に迎え入れます。ザアカイは、イエスによってはじめて同胞として、友として受け入れられたのです。イエスの思いがけない訪問によって、ザアカイの人生は180度変わりました。これまでの人生の過ちにたいする謝罪と同時に、自分の方から、自分を嫌い見下していた人々との関係を回復しようとする想いに変えられました。イエス・キリストとの出会いは、彼の人生を希望と喜びに満ちたものに変えました。
イエス・キリストは、この世に生きる私達人間の罪を赦し、救おうとされる神様の愛によって遣わされたお方です。だからこそ、このイエスに出会った人は、人生が変わるのです。あなたのことを誰よりもよく理解して下さるお方です。ぜひイエス・キリストを信じて下さい。「そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。