おはようございます。山田教会の岡本三郎です。
聖書の中に書かれている大伝道者パウロが語った言葉があります。
ローマの信者の方々に送った手紙の中に「神様はすべてのことを共に働かせて、益としてくださることを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)。
このパウロは地中海北東部エーゲ海沿岸部を中心に人々に伝道を行い、その途中、嵐に遭い、難破し、一昼夜海上に漂い、強盗に遭い身包みをはがれ、投獄され鞭打たれ、寝ずに過ごし飢え渇き、散々な苦労をしながら伝道の旅路を過ごしたことを書かれています(2コリント11:23-27)。そして重大な病を身に背負っていたことも示されています(2コリント12:7)。これは普通の人がパウロの労苦を考えると不幸の極みに見えますが、このパウロは、「万事が益になるように働く」と言って生き生きとしているのです。「家内安全、商売繁盛、お金も沢山あって、人生バッチリにいきますよ」というのではありません。願いどおりに人生が上手く行くとか、人生の結末がハッピーエンドになることを示してはいません。事実、この後パウロはローマに渡り、最後には投獄され処刑されたといわれています。
人生は嬉しいこともありますし、耐えられないような深い悲しみに逢うこともあります。言えば後者の方が多いのではないでしょうか。病の中にある方、一生懸命頑張ったのに会社の倒産や、リストラやそして派遣作業の打ち切りにあった方、事故や災害にあって苦しんでおられる方、愛する人の死別、暗い夜道の中を漂っているような試練の中にいる方々が沢山おられます。
キリスト教の信者をクリスチャンといいます。私たちクリスチャンはこの世的ではなく、あの世的なのです。これは私たちの人生は偉大な計画者がいて、その方の意思によって全ての物事は起こり、その支配の中にあることを信じています。そしてこの世では神様の愛を深く知るために生きていることを信じています。神の与えられる宿命から逃れられないと感じて恐怖を抱いている訳ではありません。それは怒りの神様ではなく、私たちを非常に愛してくださっている神様を聖書によって知っているからです。有名な神の僕マザーテレサのことはみなさん、よくご存知だと思います。マザーテレサの奉仕の業を知るとき、姉妹を通して人々に与えられる愛の香がします。それは神の愛の性質が示されています。
神の愛とは値無しに与えられるものなのです。私は入院や治療のたびにベッドの上で、聖書を読み、思いを天に向けてお祈りをします。自分の命のはかなさや、家族の不憫さを思うと自然に涙が溢れます。自分の弱さを素直に受け入れて、この嘆きも神様は知っておられ、いつかは拭われると信じています。
或る日の教会のお話で、大病を患い、ベッドの上で、身動きも取れないクリスチャンの方が言われた言葉です。「イエス・キリストはベッドの下にいる」。その言葉を聴いたとき、神様の愛は深く私たちを包み込み、手を差し伸べてくれることを知ることが出来ました。
レオナルド・ダビンチが描いた「最後の晩餐」の絵画がありますが、この晩餐は、イエス・キリストが定めた儀式であって、今でも教会でパンとぶどう酒が配られて守られています。これは十字架で処刑される前に「パンは十字架上で切り裂かれるわたしの体である。ぶどう酒は十字架上で流すわたしの血である。わたしを思い出すたび記念しておこないなさい。この杯から飲め」(マタイ26:26-28)というイエス・キリストご自身が言われています。イエス・キリストの愛をしることが心を平安に保つ第一の秘訣です。「この杯から飲め」土佐流です。ごじゃんと招いておられます。