おはようございます。山田教会の岡本三郎です。
寒い冬を耐え忍び、満開の桜の花の季節を迎えると、なぜか心が清清しくなり元気になります。5年半前に癌の宣告を受け大きな手術をしました。体が少し不自由になり、身体障害者の認定を受けました。癌患者は日本に120〜130万人と言われ、日本の年間死亡者の3分の1の割合を占める国民病といわれる難病です。
この放送をお聴きくださっている皆さんの中にも家族や親戚の方々、もしくはご本人が癌と戦われている方がおられると思います。そして最愛の人との別れがあり、深い悲しみの中にある方を覚えます。癌
を宣告されると、「死」という問題を鮮明に考えるようになります。わたしも発病が分かったときには心は動揺し、「必死で頑張って家業を守り努力したのに、何で俺が」と思い、なんとも言えない空しさと家族、特に子どもたちのことを思うと涙があふれ、何度も枕を濡らしました。
手術後体も回復し不安をかかえながら生活していましたが、一年後の秋、肺に転移し、延命治療の宣告を受けました。このときの心の状態は深く落ち込み、生きているものの死人のようでした。特殊な治療をするために愛媛県松山市の病院に入院し、単身で治療を続けました。温泉療法と散歩が日課でしたので、よく砥部動物園の近くの公園に行き散歩をしました。紅葉が秋の夕日に映えて美しくもあり、秋の深まりと共に侘しさもまし、離れて暮らしている家族のことを思うと、心が折れそうにもなりました。しかし、ここで倒れるわけにはいけないと思い、必死に歩き、熱さを我慢して岩盤浴に入り続けました。
単身で家族と離れて入院生活するのは大変です。わたしは孤独に打ち勝たないと病気には勝てないと思い、気力を振り絞りました。しかし、不思議なもので公園を歩いているうちに季節の移り変わりを通して心が癒されていくようになりました。秋の公園のもみじやかえでの紅葉に心が安らぎ、何気ないところに神の支配を感じることが出来たのです。
晩秋の頃、公園を散歩しながら立ち止まって何気なく桜の木々の枝を見ていたら小さいけれど桜の花の芽が硬い皮に覆われていることに気付きました。小さいけれど、そこに春を待つという強い意志を感じられました。その桜の芽の開花と自分の治療が完了し、退院する季節が同じ春だなと思うと辛い冬を越して耐え忍び、希望の春を待つ、仲間同士だなと考えることができました。これはわたしにとっては心のかなりの変化です。おそらく大病をしなければこの癒しの招きを感じることができなかったと思います。
或る日の教会のお話で「痛みや悲しみの中にいることは神をよく知ることになる。傲慢なときには神の恵みについて考えなくなり、何も気付かなくなる。試練の中に居るときは小さいことにも喜びのこととして気付くようになる」。深く謙遜な気持ちになって、神に目を向けるようになると示されました。
わたしたちはどのような状況にあっても自己中心的に考えてしまうことが多いものです。わたしたちには気付かないだけで、神様はいつも近くにいて何気ないことを通して招いておられます。
今は大変かも知れませんが、神はいつでもあなたを愛し慰めてくれます。これは、今も癌と共に生きているわたしの心にある確信です。教会はエリートの集まりではありません。いつでもおいでください。生きる希望があります。