タイトル: 聖書が使う病名について 山形県 Y・Wさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は山形県にお住まいのY・Wさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「いつも放送ありがとうございます。聖書が使う病名についての質問です。新共同訳や新改訳第三版では『らい病』や『らい病人』という言葉が別の言葉にかわりました。聖書では別の病気を意味しているのでしょうか。」
Y・Wさん、いつも番組を聴いてくださってありがとうございます。今回いただいたご質問は、ヘブライ語の名詞「ツァラアト」という単語の訳語についてのご質問と理解させていただきました。
まずは、この単語がどこに出てくるのか、そこから見ていきたいと思います。
旧約聖書の中でこの単語が使用されているのは、全部で35回です。旧約聖書全体の節の数から考えると、わずか0.2パーセントにも満たない頻度でしか登場しない単語です。登場回数から言えば、非常に稀な単語ということができますが、知名度ということからいえば、登場回数の低さに比べて有名な単語です。
中でも圧倒的に登場回数が多いのがレビ記です。35回のうち29回がレビ記に登場します。つまり使用頻度の内の83パーセントがレビ記に集中しているということです。しかも、レビ記の中でも13章と14章の二つの章に集中しています。
これに加えて「ツァラアトになる」という動詞を数えたとしても、全部で20回の登場頻度ですから、これも使用頻度が高い単語とは言えません。
そうであるとすると、「ツァラアト」がいったい何を指すのかを特定することは、そう簡単ではないことはすぐに理解していただけると思います。ただし、この単語が集中して登場するレビ記の13章と14章には、比較的丁寧な説明が伴っていますから、大体の意味はそこを読んでいただけると理解できるのではないかと思います。それについてはまたあとで触れたいと思います。
さて、この「ツァラアト」という単語の訳語ですが、Y・Wさんがご指摘してくださっているように、新共同訳聖書と新改訳聖書の第三版は、それぞれ、それ以前の時代の翻訳聖書とは違う訳語でその言葉を翻訳するようになりました。新共同訳聖書では「重い皮膚病」、新改訳聖書の第三版では、そのままヘブライ語を音訳して「ツァラアト」を用いています。
話はちょっと複雑になりますが、旧約聖書はご存じの通りヘブライ語で書かれていますが、紀元前三世紀の半ばごろからユダヤ人自身の手によってギリシア語に翻訳され始めました。「七十人訳聖書」あるいは「セプトゥアギンタ」として知られるギリシア語訳の聖書がそれです。その時「ツァラアト」という言葉は、ギリシア語の「レプラ」という単語で翻訳されました。
新約聖書は最初からギリシア語で記されましたが、同じように「レプラ」という単語が登場します。回数としては全部で4回ですから、出現頻度はわずかに0.01パーセントです。また、「レプラに罹った人」を意味する単語「レプロス」は全部で9回の登場です。
話が複雑になると言いましたが、新改訳聖書の第三版では、旧約聖書のヘブライ語「ツァラアト」はそのまま音訳して「ツァラアト」と表記するようにしましたが、新約聖書のギリシア語「レプラ」は、そのまま音訳しないで、ヘブライ語の「ツァラアト」をそのまま使うようにしました。そうすることで、旧約聖書のヘブライ語「ツァラアト」と新約聖書のギリシア語「レプラ」が同一のものであることが分かるようにしました。念のために言いますが、新約聖書には「ツァラアト」という単語が出てくるわけではありません。
困った問題が起こっているのは、新共同訳聖書です。旧約聖書のヘブライ語「ツァラアト」を「重い皮膚病」と翻訳したのはよかったのですが、新約聖書のギリシア語「レプラ」をある時期の版まで、依然として「らい病」と翻訳していました。つまり、旧約聖書と新約聖書の間で翻訳の整合性がなかったのです。「重い皮膚病」で統一されるようになったのは1996年の11月からではなかったかと思います。新共同訳聖書が出版されてから9年後です。それ以降に印刷された版から「重い皮膚病」に訳語が統一されましたが、教会の説教壇に置かれている大型の聖書は、そうそう買い替えるものではありませんから、版が入れ替わるのには時間がかかります。教会で聖書朗読をする際には十分気をつけた方がよいかと思います。
さて、「ツァラアト」がいったい何を指しているのか、という問題ですが、先ほども触れたとおり、この単語についての一番詳しい記述はレビ記の13章と14章に登場します。
たとえば13章3節には「ツァラアト」についてこう記されています。
「患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病(ツァラアト)である」
その他にも「ツァラアト」についての記述がレビ記の13章には続きますが、レビ記13章を読む限りでは、「ツァラアト」が皮膚病の一種であるように考えてよさそうだという結論になると思います。
しかし、レビ記14章にはいると、人間ばかりではなく家屋に生じる「ツァラアト」についての記述が出てきます。さすがに家屋に生じる「ツァラアト」のことを「重い皮膚病」と訳したのでは具合が悪いので、新共同訳聖書ではその部分に限って「かび」と訳しています。
新改訳聖書の第三版はそうしたことも考慮に入れて、あえて日本語の訳語をあてはめないで、言語の音をそのまま片仮名書きで「ツァラアト」と記しているのです。
では、どうして今まで「ツァラアト」の訳語として使われていた「らい病」という言葉を、使わなくなったのでしょうか。それには二つの理由があります。
一つはその言葉自体が不快語・差別語として一般的に認識されているからです。この他にも不快語・差別語を極力減らす努力は、新共同訳聖書にも新改訳聖書の第三版に共通しています。これは聖書翻訳の問題ばかりではなく、広く社会一般の傾向であると思います。
もっとも、差別用語をいくら言い換えたとしても、差別そのものがなくならない限りは、その言い換えた言葉もいつかは不快語・差別語になってしまう問題は避けられません。
もう一つの理由は、先ほども見てきたとおり、「ツァラアト」自体が、正確に何を指しているのかが不明だからです。現代人のわたしたちにとっては、どうしても「ツァラアト」に相当する医学的な病名をあてはめないことには気が済まない傾向にあるのですが、しかし、レビ記が「ツァラアト」を取り上げているのは、病気の診断のためではありません。医学的な関心からこのことを記しているのではなく、「汚れ」と「清さ」という宗教的な区別を神の民に学ばせるために、「ツァラアト」のことが取り上げられているのです。そう言う意味で、特定の病名をあてはめることは必ずしも賢い選択ではありません。
まして、その際に選ばれる単語が、差別を助長したり是認したりしていると誤解されるような単語であってはよろしくないので、今までの訳語を捨てて、新共同訳聖書も新改訳聖書の第三版も、それぞれ別の表現に言い換えたのでした。
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