いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
朝日新聞の土曜日の新聞には「職場の理不尽Q&A」という欄があり、しばしば、同僚と比較したテーマが載ります。
8月27日には、同期入社のA君は、弁が立ち、自己顕示欲が強く、要領もいい。わたしが発案した研究さえ自分が発案して研究を引っ張っていると上司に自己申告して、人事評価を上げている、という悩みが相談されていました。
この悩みに対して、研究職であるなら社内評価を気にするより、研究の成果が世の中に評価されているかどうかという目標を自分で設定してみてはどうか、という回答がありました。人事評価が気になるのは人の常かもわかりませんが、なお大きな評価基準を持ち、研究職についている自分自身を意味づけてみてはどうか、ということです。
コリントの信徒への手紙一、4章3節以下で、パウロは人の評価や判断は気にしない、自分で自分を判断することもしない、と書きました。そして「わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」と書いています。
主イエスは外面的評価ではなく、わたしたちの心の中の秘密もよく知ったうえで、わたしたちを評価してくださいます。そして、裁くのではなく、「おのおのが神からおほめにあずかります」とあります。
ほめてくださる方をわたしの神とすることは本当に幸いなことです。