いかがお過ごしですか。三川栄二です。
もう8ヶ月も前になりますが、今年3月に起きた東日本大震災の後、宮城県にあるいくつかの教会を訪問させていただきました。色々な方に呼びかけて、水や食料、生活雑貨といった当座必要とされるような物をかき集め、それをお渡しするためでした。しかし実は、訪問することに躊躇がありました。相手が大変なときにかえって迷惑になるのではないかとか、わずかばかりの物を持っていったところでそれが何の役になるだろうといった思いがあり、また訪問することに批判的な意見も耳にして、悩んでしまったのです。
しかしそこで躊躇し、迷う自分を押し出したのは、次の聖書の言葉でした。「兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。もし兄弟が着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、彼らに『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」。(ヤコブの手紙2:14-17)
現に今、苦しんでいる人々がいて様々な必要があることを知っているのに、人の声や意見を恐れて、そうしようとせずに迷っている自分を問われました。確かに自分にできることはわずかかもしれませんが、そこで自分ができることを果たしていこうと決心しました。今日も、行いの伴う信仰者でありたいと思います。