お元気ですか。横浜中央教会の立石です。
スペインのフラメンコダンサー、マリア・パヘスのファイアーダンスを見たことがあります。真っ赤に燃える炎が舞台の背景スクリーンに映し出され、その前で、パヘスが真っ赤なドレスで激しい情熱的なフラメンコを踊ります。真っ赤に燃える炎というのは、私たちの心の感情をかき立てるんですね。キャンプファイアーでは、昔の原始的な本能が戻って来るような気がします。
旧約聖書のモーセの前に現れた神様は「柴の間に燃え上がっている炎」という形で現れました。「柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」のです。エジプトのシナイ半島は岩山がごろごろしていて、わずかにアカシヤの低い灌木や柴が生えているだけです。乾燥した気候ですから自然発火することもあります。柴などが燃えますと、あっと言う間に燃え尽きてしまいます。それなのにこの燃える柴は、真っ赤な炎を出しているのに燃え尽きない。神様は燃え尽きない火という姿でモーセに現れました。これは何を意味するのでしょうか。
「主は焼き尽くす火であり、熱情の神である」という言葉が聖書にあります。神様を何かに例えるなら、それは火であり熱情だということです。神様はどっちつかずという中途半端なことを嫌われます。 新約聖書の黙示録を見ますと、ヨハネに現れた天使はこう言いました。「あなたは冷たくもなく熱くもない。…なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そう」。私たちの信仰はどのように判定されるのでしょうか。私自身は炎のように燃えたいと思うのですが。