ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
旧約聖書の中に、ヤコブという人の話があります。この人はお兄さんとのトラブルのために、その身が危険な状況になりました。そのため家を出て、遠い親戚のところに逃げて行かなければならなくなりました。昔のことですから、歩いて何日もかかって旅をします。ある夜、誰もいない荒れ野で野宿をしていると、そこで主なる神様が共にいるということを悟らされます。それでヤコブは言います。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」。私たちは主なる神様にお会いするのにどこかに行かなければならない、こちらから神様のところに出向いていかなければならない、そんなふうに考えることがあります。
キリスト教では、確かに教会に集まって、皆で一緒に神様にお祈りしたり、讃美歌を歌ったり、聖書のお話を聞いたりします。それも、神様にお会いすることです。けれども、それだけではありません。日々の生活のこの場所、この状況の中で主なる神様が共にいてくださる、というのです。ヤコブは身の危険のために家を離れなければならず、真っ暗な荒れ野で、孤独で、望みを失うような状況の中で、主がこの場所におられるということを悟らされました。
聖書が教えているのはそのことです。神様がいる、しかもどこか遠いところにではなく今のこの場所、今のこの状況の中でということです。お祈りをして、神様にそのことを気づかせていただきましょう。「まことに主がここにおられる」と。