御機嫌いかがですか。花小金井教会牧師の川瀬です。
「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず。」
このような言葉で始まる詩編第1編には、人が悪にはまっていく順序が映画を見ているように生き生きと描かれています。歩き、とどまり、座る、という順序です。目標に向かって一生懸命走っているときには悪いものが目に入りません。しかし、悪いものがちらちらと見え、気になり、歩きはじめます。そして悪の前に立ち止り、最後にはその上にどかりと座ってしまうのです。歩き、とどまり、座る。
誘惑はだれにも避けられません。心に罪深い思いが浮かんできても、私は罪深いと思う必要はありません。それは私たちを失望させるためのサタンの策略です。神の子でさえ誘惑をお受けになりました。誘惑は避けられませんが、心の扉を開けてそれを心の中に入れてはなりません。はまきを加えてピストルを持って生れてくる赤ちゃんはありません。だれでもいきなりギャングになるのではありません。走るのを止めないようにしましょう。そうでなければ、気がつけば悪い習慣の上にどかっと座っている自分を発見することになるでしょう。
罪を罪とただちに決めることが大切です。悪魔と議論をしてはなりません。みんなやっている、一回ぐらいはいいだろう、などとだまされてしまいます。ゴールに向かって走り続けることが最も安全な人生です。