お元気ですか。横浜中央教会の立石です。
今週は聖書にあります、皆様が良く知っておられる十戒のお話、10の戒めのお話を1週間連続でお話ししましょう。十戒にある、「殺すな」、「盗むな」などという戒めは、まあ、今では当たり前の法律であり、倫理道徳ですね。しかし、今から3000年以上前に、この戒めが与えられた古代のオリエントの世界では、当たり前ではない、むしろ愚かに聞こえたものの方が多かったのです。
まず第1の戒め「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」。そんなことを言っていたら、古代の多神教の世界では生きていけません。国と国が平和条約を結ぶ時には、王様たちは子どもに政略結婚をさせて血縁関係を深めますね。そしてお互いの国の宗教、その国の守り神の神々を尊重して拝むのです。それが国と国との交際ですから、たった一つの神様しか拝んではいけないなどというのは当時は非常識な教えでした。
また十戒の第2の戒め、「あなたはいかなる像も造ってはならない」。そんな馬鹿なことを言う国はどこにもありませんでした。像がなければどうやって神様を拝むのですか。見えない神様をどうやって拝むのでしょうか。誰もがほめたたえるような金ぴかの像を作るから有り難味が増すんですね。1万円の仏像より、100万円の像の方がありがたいと思われますよね。しかし、そのような世間の常識に真っ向から挑戦する形で、聖書の神様は十戒を教えました。
神様は一人しかおられない。そしてその神様を見える形で、像に造ってはならない。それは見える世界という、人間の常識の中だけで神様を理解しようとする、人間の思い上がりを戒めたものでした。