いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイによる福音書26章6節以下に、食事をしていたイエス様に高価な香油を注いだ女性が出てきます。イエス様の弟子たちはそれを見て、「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」といって憤慨しました。イエス様は、「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」とおっしゃってその場をおさめました。
イエス様がおっしゃった良いことの意味は、この時、弟子たちにはわからなかったはずです。その意味とは、「わたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた」ということであったからです。
まだ十字架の死はおこっていないのですから、弟子たちにわからないのも当然かもしれません。しかし、当の女性でさえも考えもしなかった意味づけがイエス様によってなされたということに注目したいと思うのです。
聖書によるなら、人は神との関係で一つひとつの行いとその生涯がはかられます。人は他人の評価をすることが大好きです。また自己評価をすることも時には必要です。
しかし、人の評価とは別に、神の評価もあるということをどうか知って下さい。イエス様の評価は、行為の表面を見てなされるのではなく、女性の心を見てなされました。 しかも、女性自身が考えもしなかった「良いこと」の意味づけがなされました。どうか、イエス・キリストを救い主と信じ、わたしたちを救いに価する者と評価してくださる方をどうか得てください。