いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイによる福音書26章6節以下に、食事をしていたイエス様に高価な香油を注いだ女性が出てきます。イエス様の弟子たちはそれを見て、「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」といって憤慨しました。
確かに大変高価な香油であり、理屈としてはもっともであるように思えます。しかし、イエス様は「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」とおっしゃって、弟子たちの非難を止めさせました。
その理由は、第一に、イエス様へのささげものをお金に換算してしまうことが間違いだからです。イエス様にささげたいと願う信仰そのものは、お金に換算できるものではありません。
第二に、「わたしに良いことをしてくれた」とあるとおり、良いことをしたのに、あれこれと理屈をつけて非難することは、正しくありません。
第三に、ヨハネ福音書12章1節以下を読むと、イエス様を裏切るユダがはじめに非難したことがわかります。また、貧しい人たちを心にかけたのではなく、財布を預かっていながらその中身をごまかしていたからだとも書いています。隠されている悪意を退ける必要もありました。
第四に、香油を注いだ行為には、これからイエス様に起ろうとしている死の準備という意味があったからです。
イエス様から見ると、一つの行為に何重もの意味があることがわかります。わたしたちは、行為の表面を見て軽々しく人を非難することの愚かさを知らねばなりません。