いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
新約聖書の中に「愛の賛歌」と呼ばれる有名な個所があります。コリントの信徒への手紙一の13章です。その中に「愛がなければ」というフレーズが三度繰り返し出てきます。そこには人々の注目を集めるような人の行動や特質が取り上げられます。しかし「愛がなければ」という言葉によって、その行いが価値を失う危険が指摘されています。
「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」とパウロは言います。しかし、この世の中のほとんどのことは、愛があるかないかではなく、結果の方が重く見られます。確かに当座はそれで十分かも知れません。
では、どうして聖書は結果よりも愛のあるなしにこだわるのでしょうか。それは、愛は人に対する関心を含んでいるからです。結果の善し悪しだけを追い求め始めれば、何時しかそこにいる人間そのものに対する関心がどこかに行ってしまう危険があるからです。他者への深い関心を失った生き方は、結局のところ結果をもむしばんで行くからです。愛がなければ、他者との関係を作り上げていくいことはできません。そして、その行動に継続性も生まれません。
今日の言葉…「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」コリントの信徒への手紙一 13章3節