いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
キリスト教の中心メッセージは「救い」です。何からの救いでしょうか。罪からの救いです。それでは罪とは何でしょうか。さまざまに言いあらわすことができます。今日は、罪を測る基準は「神の法、律法」だというという観点から考えてみましょう。
私たちは、自分の心の醜さに気付きにくいですし、気づいても軽く考える傾向があります。基準がはっきりしないのでどうしても自分に都合よいように考えようとするのでしょう。人の行いと言葉の善し悪しの基準ははっきりしています。社会の法律。これを犯す時、犯罪となります。けれども、法律はもともと心の思いの良し悪しを判断するものではありません。例えば、他人を刃物で傷つければ、法的に言えば「傷害罪」です。現実に傷つけなくても脅せば、傷害罪より少しは軽く扱われますが「恐喝罪」です。けれども、どんなに他人に憎しみを持ち、それが殺意にまでなっても、それがただ心の中に留まっている限り、法律の対象にはなりません。
罪とは「心の醜さ」です。あるいは「悪しき思い」です。これを判定するものは何でしょうか。聖書の中に神様が、人の心を問題とされること、そしてその基準を記しておられます。特に有名な部分が、旧約聖書の中の「モーセの十戒」、新約聖書の中の「イエス様の山上の説教」です。「人を殺すな―思いの中でも!」と神様が言われる時、他人に腹を立てている自分も裁かれているのです。
キリスト教の救いとは、神様の法を守れない者への、イエス・キリストによる赦しです。