いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
キリスト教の中心メッセージは「救い」です。何からの救いでしょうか。罪からの救いです。それでは罪とは何でしょうか。さまざまに言いあらわすことができます。今日は、罪を「こころの醜さ」という観点から考えてみます。
キリスト教が問題にするのは、私たちの行いや言葉の良し悪し以上に、それらを生み出す心の良し悪しです。この心について、「私は天使のように心が清らかです」と、自信を持って言える方はおられますか?おそらくほとんどの方は言われるでしょう、「とんでもない。私にはたくさん欠点があります、むしろ悪いところだらけです」と。
けれども、「それではあなたの心は悪魔のように真っ黒ですね?」と尋ねますと、おそらくほとんどの方はこう答えられるでしょう、「ひどい、それは言いすぎです。私にも長所はあります」と。天使ではないが悪魔でもない、その中間あたり、できれば少しは天使寄りに、ということでしょうか。
しかしそのような願いとは裏腹に、私たちの心には醜い思いこそが深く巣食っているように見えます。試してみるとすぐにわかるでしょう。善い思い、例えば「親切心」がどれ程移ろいやすいものか、悪い思い、例えば「憎しみ」がどんなに克服しにくいものか。
心は目に見えませんので気付きにくいのですが、「心の醜さ」はふつう思っている以上に深刻です。そのままで構わない、とお思いでしょうか。キリスト教の救いとは、心の暗闇がイエス・キリストの光によって照らされることです。