いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
今日は、罪のお話です。罪とは、結局のところ、天地万物をお造りになった、神様というお方を認めることができない状態のことです。神様の御存在を否定して神様との関係を持ちたくないと、かたくなに神様との関係を拒む心。これを罪と言います。
「そんなにわたしとの関係を拒むなら、望みどおり、関係を持たないでいてあげましょう」というのが、神様の「裁き」「報い」です。でも同時に、神様は、私たちが神様との本来の麗しい間柄に戻って来るのを、心待ちにされています。
私たちの罪のゆえに、神様と私たちの間には大きなわだかまりがあります。このわだかまりのゆえに私たちは神様に容易に近づけません。神様の懐に帰って行くことができません。そんな私たちのために、神様は私たちの神様に対する「罪というわだかまり」を処理してくださいました。神様が処理してくださる義理はないのです。でも、私たちにはそのわだかまりを処理する能力がないので、神様の方で処理してくださったのです。
その唯一の方法が、イエス・キリストによる十字架の死です。イエス様の十字架の死によって、神様は本来私たちが受けなければならない罪に対する刑罰を弁済してくださいました。イエス様の十字架によって、私たちは罪赦され、何のわだかまりもなく神様の懐に立ち返ることができるのです。この良い知らせを、私たちは福音と呼んでいます。あなたもこの福音を聞いて、罪赦され、神様の懐に帰るようにと、今も神様があなたに語りかけて居てくださっています。