いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
罪のお話をしています。人類最初の罪を犯した人をご存知ですか。それは、アダムとエバです。神様がエデンの園という美しい場所にアダムとエバを住まわせてくださっていました。そこには素晴らしい木の実をならせる木々がいっぱいありました。神様はアダムとエバに、このエデンの園の中にあるどの木から取って食べてもいい。でも、エデンの園の中央に生えている、これだけは食べてはいけない、という木からは取って食べてはいけないと、彼らにお言いつけになりました。
でも、彼らは神様がこの木からだけは取って食べてはいけない、と言われていた木から、取って食べてしまったのです。神様のお言いつけを第一とすることができず、自分の気持ち、自分の判断、自分の決断の方が優先してしまったのです。こうして、神様のお言いつけよりも、自分の考え・思いの方が上になってしまう。言い換えると、神様よりも自分の方が上の立場になってしまう。このことが聖書の言う「罪の本質」です。
神様なんか居てもらっては困る。私を支配するのは私です。私の王様は私自身です。私は自分の時間も命も何もかも自分の思い通りに使いたいのです、という気持ちは、誰もが持っているんじゃないでしょうか。でも聖書は言っています。「私が私自身の主人である。私は、神という絶対者の支配などは受けたくないという思い、気持ちがあるとしたら、実は残念ながらそれが罪の影響によるものなのです」と。