いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
この一週間、私は聖書に書いている「罪」という問題について皆さんと御一緒に考えてみたいと思います。
一体、罪とは何なのでしょうか。聖書が教えている罪とは天地万物をお造りになったお方を認めないことです。空気も、水も、太陽も、みんなこのお方によって造られ、私たちは毎日、当たり前のようにその恩恵にあずかっています。私たちの命そのものも、このお方によって造られ、支えられています。
でも、そんな事を知らずに、そのお方に対して感謝の気持ちもわかない。もちろん感謝も表さない。この恩知らずの状態で、天地万物をお造りになったお方に対してすごしている。これを罪と言います。
宇宙に広がる天体は一定の間隔で、一定の運行をしています。自然界には春夏秋冬が毎年巡ってきます。この天体や春夏秋冬の一定した動きを見るにつけても、それを造り、コントロールしているお方がいらっしゃることは一目瞭然ではないか。それにもかかわらず、人は天地を造られたお方を知ることも認めることもできなくなってしまっている。私たちの心がコチコチに硬くなってしまい、造り主の御存在が見えなくなってしまっている、と聖書は言っています。そして、この状態を聖書では、「罪」と呼んでいます。
もし、あなたが空の星、太陽、海の美しさ、春夏秋冬の色とりどりの鮮やかさを見ても、それらを造られた方をあなたが感じられないとしたら、実はそこに罪の影響があるのです。