いかがお過ごしですか?北中山教会の坂本紀夫です。
イエス様が、こんなたとえ話をなさいました。
ある金持ちの畑が豊作でした。彼は、古い倉を壊して更に大きな倉を作り、そこに穀物や財産を詰め込んで、こう言いました。
「さあ、これから先、何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」
神様は、この人を<愚かな人>と呼ばれました。何故でしょうか?
この金持ちの関心が、いつも自分の満足、自分の快楽に向けられていたからです。確かに、この金持ちは財を蓄えるために知恵を用い、努力もしたことでしょう。しかし、命を与え、人生を楽しませて下さる神様、更には、豊かな収穫を与えて下さった神様への感謝を忘れて、自分の欲望に支配される生き方は何と愚かしいものでしょうか。
一生かかっても使い切れないような財産があっても、神様を無視して自分のためばかり生きるなら、それは決して「神の前に豊かな人生」とは言えないのです。
聖書の言葉
「高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(1テモテ6:17)