おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。
私は牧師として色々な人と信仰の話をしますが、「私には信じることができない。私は信仰深い人たちとは違って、俗人だからとても純粋には信じられない」そういう言葉を聞くことがあります。けれども信仰とは、一部の人たちだけには備わっている特殊な能力でも、特殊な資質でも才能でもありません。ですから、どんな人であっても、「私は信じることができない」とは言い切れないのだと思います。
では、信仰とは何かというと、それは神様の呼びかけを聞くことです。神様は私を見捨てない。神様はこの私を見出すことを最大の喜びとしてくださる方である。私は今、神様に愛され、大切にされ、一所懸命捜されている私なんだと、このことが分かること。それを承認することが信仰です。
「私には信じることができない」確かにそうです。私の力では信じ切ることができません。けれども信仰にとって一番大事なことは、私が信じられるか信じられないかということではなくて、神様の方が、いつもこの私を捜してくださっているという事実です。