メッセージ: 最後の晩餐の準備(ルカ22:7-13)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
最後の晩餐といえば、だれでも思い出すのが、レオナルド・ダ・ビンチがミラノの修道院の食堂に描いた有名な壁画ではないかと思います。遠近法によって描かれたこの絵は、イエス・キリストの背後に描かれた明るい窓の光に、見る者の視線が自然と集まるように工夫されています。その明るい窓に吸い寄せられて、まず初めにイエス・キリストに目が止まります。
そして、同じ主題を扱った今までの他の作家の壁画とは違って、ダ・ビンチは裏切り者のユダを大胆にもイエス・キリストと同列の席に座らせました。これは当時としては画期的な構図です。
きょうはその絵の主題となった最後の晩餐を準備するエピソードからご一緒に学びたいと思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 22章7節〜13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
きょうの個所は過越の祭り当日の出来事です。その日から七日間、酵母を使わないパンを食べるところから、除酵祭とも呼ばれています。
過越の祭りは、ユダヤ人にとっては民族の救いを記念するもっとも重要な祭りで、その日、小羊を屠って家族で食事を共にするのが、この祭りの大切な要素の一つでした(出エジプト12)。
イエス・キリストが十字架におかかりになるのはこの翌日の金曜日のことで、すべての福音書はその点で一致しています。そして、ヨハネ福音書以外の三つの福音書は、この最後の晩餐を過越の祭りの食事として描いています。それに対してヨハネ福音書は、イエス・キリストの十字架を過越の祭りで捧げられる小羊として描く神学的な動機からか、あるいは、使っていたカレンダーの違いからか、最後の晩餐を過越の祭りの前日の食事と理解しています。ここでは日付の問題にはこれ以上深入りしないことにして、ルカによる福音書の記述にそって見ていきたいと思います。
ルカによる福音書では、この過越の食事の準備は、イエス・キリストが主導的な立場で進めます。マルコ福音書やマタイ福音書とは違って、弟子たちがまずこの日の特別な食事の準備についての心配をする様子が描かれません。イエス・キリストがまず口火を切って、弟子たちを遣わします。それも、準備のために遣わすのではなく、すでに整えられている場所を彼らに教えるために、一足先に遣わしているのです。
弟子たちにとっては、この過越の食事は、いつもの年と変わらない、毎年繰り返される祭りの食事であった違いありません。そういうつもりで、今夜開かれようとしている過越の食事を考えていたことでしょう。
しかし、イエス・キリストにとってはそうではありませんでした。22章15節にはこう記されています。
「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」
イエス・キリストはそれまでに何度も弟子たちに予告されていたように、祭司長や律法学者ちから苦しみを受け、十字架の上で殺されることを知っていました。二度と弟子たちと共にすることができない過越の食事の機会であったので、誰にも妨げられることがなく、共に食事をすることができるようにと切に願われていたのです。ですから、食事の場所には特別な準備がなされました。
イエス・キリストは弟子たちに「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい」と命じます。
この個所をイエス・キリストの特別な予知能力によるものと理解する必要はありません。もちろん、イエス・キリストにはすべてのことをあらかじめ知る力があります。しかし、ここでは、その言葉の続きから推測して、予め家の主人と周到な打ち合わせがなされていたのでしょう。
では、なぜイエス・キリストは弟子たちを遣わす時に、「だれそれの家」とか、あるいは「どこそこにある大きないちじくの木の隣の家」などのように、もっと分かりやすい目印を教えなかったのでしょうか。しかも、お遣わしになったのはペトロとヨハネの二人だけでした。
それはさきほどの「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」というイエス・キリストの言葉と密接なかかわりがあります。先週学んだ通り、ユダの心にはすでにイエス・キリストを引き渡そうとする思いが生まれていました。そして、事実その機会を狙っていたのでした。
もし、予め自分たちの集まる場所をはっきりと知られるような形ですべての弟子たちに知らせていたとすれば、その情報はユダの口から祭司長や律法学者たちに簡単に漏れてしまうことでしょう。個人の家の中であれば、民衆たちの目を気にせずに簡単に踏み込んでイエス・キリストを捕らえることができます。
そこまで周到な準備をするということは、この食事がイエス・キリストにとってどれほど特別なものであったのかということの証拠です。この最後の晩餐の意味については来週詳しく取り上げますが、一言でその意義を語るとすれば、パウロがコリントの信徒への手紙の中で語っているその言葉に尽きます。コリントの信徒への手紙一の11章23節以下の言葉です。
「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」
このパウロが語る主から受けたという言葉は、聖餐式の時に読まれる言葉です。イスラエル人にとって過越の食事が救いの恵みを記念する食事であったとすれば、主イエス・キリストが用意させようとしているこの最後の晩餐は、救いの恵みに与らせる新しい契約の食事なのです。主イエス・キリストの救いの御業と恵みは、聖餐式を通して今なおわたしたちの目の前に鮮やかに示されているのです。
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