「聖書のおはなし」(藤城誠治・影絵、野田秀・文)より
あなたがもしそこにいたら、あなたも、感動で心が燃えるようになったにちがいありません。
十字架のニュースを耳にしてから、お弟子さんたちは、深い悲しみに包まれていました。イエスさまがよみがえられることを、信じることが出来ず、迷っていたからです。
二人のお弟子さんたちが、エルサレムからエマオに向かって歩きながら、この二、三日の出来事を話し合っていました。「どうだい。女たちが言っていたぜ。イエスさまがよみがえられたって。本当だろうか。」「イエスさまに期待をしていたのにな。十字架にかけられてしまうなんて。これからどうしたらいいんだ。」
ふと気がつくと、途中から道連れが一人増え、その人が話しかけてきました。どこかで会ったような気もするけれども、だれかはわかりません。「まあいいか。さびしい道だから、いっしょに行こう」ということになりました。
話題はどうしてもあのイエスさまのことになります。二人は夢中で話、自分たちの疑問をその旅人にぶつけました。そうせずにはいられなかったからです。すると不思議なことに、その人は、それはこういうわけなのですよと、きちんきちんと答えてくれるではありませんか。しかも、それを全部、聖書のみことばから話してくれるのでした。二人がイエスさまについて持っていた疑問が、少しずつ解きほぐされていきました。そして、消えかかり、くすぶっていた火が、新しいまきがくべられて勢いよく燃え上がるように、悲しみと疑問で暗くなっていた心が、熱く燃え始めるのを感じました。聖書のみことばが語られたからです。
ところで、その旅人はいったいだれなのでしょうか。日が西にかたむくころ、三人はエマオに着き、とまることになりました。三人が食卓を囲み、あの旅人がパンを取って祝福のお祈りをすると、二人にさいてわたしてくれました。その姿にふれた時、二人には、それがだれであるかが、はっきりわかりました。差し出されたその手に、十字架のくぎのあとを見たのかもしれません。「イエスさまだ。」「イエスさまだったのだ。」二人が何か言おうとする間もなく、イエスさまは見えなくなりました。
まっしぐらにエルサレムに取って返した二人は、仲間に自分たちが経験したことを話しました。復活されたキリストは、このようにして人々の中に伝えられていったのです。
さて、イエスさまは四十日してから、お弟子さんたちが見守る中を天にのぼって行かれました。お弟子さんたちは、それからの十日間、いっしょうけんめいにお祈りをしました。十日目の朝、ペンテコステの日に、聖霊さまが下り、力をいただいた人々は、見ちがえるほど勇気を与えられ、心を燃やしながら、主イエス・キリストのことを伝え始めました。主イエス・キリストの教会が誕生したのです。
イエスさまは、今何をしておられると思いますか。イエスさまは、実は、もう一度この世界に来るために、準備をしておられるのです。(いのちのことば社より 現在絶版) くまだなみこ