毎日届くリスナーからのメールやお便り。その中に生きる色々な姿を垣間見ることがあります。何年振りかで頂くお便りの中にも。そっと時が流れて、やっと話せるようになった!と連絡を頂くこともあります。黙っていたい時もあるのですよね。今も沈黙してじっと時を待つリスナーのAさん、Bさん…。みんなどうしているかな?と思い出す時があります。でも今は静かに祈って待つ時なのですね。待つことができないと私たちは自分勝手に進んでしまって、最後はその関係を自分の願いとは逆に破壊してしまうことさえ起こるかもしれません。
毎日留守電に語りかけてくださるリスナーもいらっしゃいます。そこに潜む生きる苦しさや寂しさを感じます。夜、留守電にでもいいから語りかけたい、誰かと繋がりたい、これは人間の心の深いところから湧き出てくる叫びのようです。
そんなことを感じながら昨年リスナーからのお葉書が届きました。そこにあった「膝までの涙」と記された絵。少女がじっと黙ってうつむいて涙を流しているのです。涙が川のように膝まで溢れ、膝を抱えてうつむいています。心の深みにある想いー現実の自分を見ると嫌いに思えて悲しくなった。そして、人といると不安で怖かった。部屋の隅にうずくまり涙を流す日々。たった一人でとても辛かった。
この絵の少女だけではないですね。誰だって、どんな世代を生きていても嵐の襲う時みな苦しみ悩みますから。でも自意識過剰なこの少女の年代。自分が自分を受け入れられない苦しみの時期。自己嫌悪の嵐に吹き飛ばされそうな時期。たまった怒りをぶつけたい思い。真っ白な冷たい雪原をどこまでもどこまでもたった一人ぽっちで進んでいるような冷たい孤独感。
ある日新聞記事の悲しいニュースを読みました。世界のあちこちで「助けて!助けて!」という叫びが今日も聞こえてきます。
私の住む街でも事件が起こりました。「3歳児が畳に投げつけられ死亡。32歳の母逮捕。夫と子供は4人。おもらしをしたとイライラし、布団に投げ飛ばし、子供は頭を畳に打ち付けて頭部骨折死亡。」すぐ近くでの出来事です。新聞の記事は事実を伝えるだけですが、夫も子供たちも、この母親が切れてしまった一瞬の出来事で大変なことになってしまっています。普通に生きる私たちの日常を襲う出来事。人間は弱い存在なのですから。今の社会全体が不透明でストレスを溜めていることもあるでしょう。でも人間の心はいつの時代も叫んできたのですね。本当の平安に満たされたいのになぜ私はこんななのだろうと。満ち足りる心をいつになったら見つけられるのだろうと。
「膝までの涙」の絵には、でも救いの希望が窓から射し込んできています。「生きていて楽しくなりたい!」という少女の思いが伝わってきます。良かった、イエスさまに出会えたのだと思いました。
河野 進さんの詩集「カナの婚宴の葡萄酒」(聖契授産所出版部)の中にこんな詩をみつけました。 くまだなみこ
「隙間」
微笑みは
太陽の光のように
どのように厚い
苦しみ悲しみの
扉の隙間を見付けて
かならず
入ってくる 今すぐに