タイトル: カルトってなんですか? 東京都 ハンドルネーム・ソマンさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は東京都にお住まいのハンドルネーム・ソマンさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「カルトという言葉をよく耳にするのですが、カルトと普通の宗教とはどこがどう違うのでしょうか。日本ではたくさんの信徒を集めている有名な宗教団体が、フランスではカルト集団とされているというニュースを耳にしたことがあります。
宗教を信じていない人にとっては、宗教は全部カルトに思えてしまうかもしれません。しかし、そういう人たちにどう説明したらよいのでしょうか。
また、本人はまともな宗教だと思っていたものが、実はカルトだったという被害も耳にすることがあります。そういう被害に遭わないためにも、カルトとは何なのか、ぜひ教えていただければ、と思います。よろしくお願いします。」
ソマンさん、メールありがとうございました。カルト集団による被害のニュースで一番印象に残るのは、何といっても1995年のオウム真理教団による地下鉄サリン事件ではないかと思います。一般人を巻き込んだ被害の大きさといい、化学兵器の使用という手段の残虐性といい、その衝撃は世界中に広がりました。
しかし、カルトによる被害はそうした衝撃的なものばかりではありません。洗脳による人格破壊や精神的束縛など、あまりカルト集団の外には漏れてこないような問題もたくさんあります。
では、カルトとは何なのか、キリスト教だってカルトではないのか、という乱暴な議論を耳にすることもあります。しかし宗教のすべてがカルトなのではありません。そこには区別の基準となるチェック項目がありますので、そのことについてお話したいと思います。
ところで、カルトに似た言葉にオカルトという言葉があります。オカルトという言葉はもともとラテン語で「隠されたもの」という意味の言葉です。神秘的で超自然的で、時には悪魔的なものを指す言葉で、それを信奉することをオカルティズムと呼んでいます。
この言葉はヨーロッパではキリスト教信仰から離れた、あるいは対立する非正統的な宗教、思想に対して貼るいレッテルのように使われました。日本では特に悪魔的で超自然的なものを指して使われています。特にオカルト映画といえば、そういう内容のものです。
このオカルトときょう取り上げようとしているカルトとはまったく別物ですから混乱しないようにしてください。
さて、カルトという言葉もラテン語から由来しているのですが、もともとの意味は「礼拝」や「耕すこと」を意味していました。英語のcultivateは「土地を耕す」という意味、cultureは「文化」という意味です。どれもラテン語のcultからきている言葉です。
本来の意味からすれば「カルト」は決して悪い意味ではありません。しかし、19世紀初頭ごろから、「人物やものごとに傾倒すること」を意味するようになり、20世紀終わり頃からアメリカでは反社会的な宗教団体を「カルト」呼ぶようになりました。そのような宗教団体に社会的な関心が集まった事件として、1978年に南米のガイアナで起こった人民寺院の信者の集団自殺事件がありました。
では、カルトの定義は何なのか、お便りに出てきたフランスでの事例をご紹介したいと思います。
アメリカや日本では反社会的な活動をする宗教団体を「カルト」と呼んでいますが、ヨーロッパやフランスでは「カルト」という言葉の代わりに、「セクト」という言葉を用いています。このセクトに関して1995年にフランスの下院で採択された『アラン・ジェスト報告書』では、普通の宗教とカルトとを見分ける基準として、十の項目を挙げています。
その十の項目は個人に対する危険と社会に対する危険とに大きく分類することができます。
まず個人に対する危険です。次のような危険な性格を持った団体はカルトとみなされています。
精神を不安定な状態にさせること、法外な金銭の要求をすること、住み慣れた生活環境から断絶させること、肉体的な完全さを損ねること、子供を囲い込むこと。その五つです。
次に社会に対する危険については次の五つが含まれています。
反社会的な論説をもっていること、公の秩序を乱すこと、裁判沙汰の多さ、従来の経済回路からの逸脱、公権力への浸透を試みること。以上の五つが含まれています。
フランスではこのどれか一つにでも該当するものはカルト集団であるとみなされています。そして、お便りの中にもあった通り、日本の有名な宗教団体の一つが、フランスではこの規定に該当するとみなされているのです。
この基準はほとんどのカルト集団をカバーできると考えられますが、しかし、逆にいえば、規制したい宗教団体が先にあって、その特徴は何かということを都合よくまとめたとも言えなくはありません。具体的に一つ一つの宗教団体にこの基準をあてはめて行ったときに、判断の難しいものもあるように思います。たとえば「法外な金銭の要求」というのが、いったいどこからが「法外」に当たるのか、それを誰が判断するのでしょうか。問題が残るように思います。
また、要求と訴えとはどう違うのか、そこも問題が残ります。たとえば、教会では活動のために信徒に献金を訴えることがあります。そして、それに応えて多額の献金をしてくださる方もいます。本人が自発的にするのであれば、問題ないということでしょうか。その場合、本人の自由な意思と強制された意思とを誰がどう区別し、判断するのでしょうか。
あるいは、子供の囲い込みと言うことに関しても、どこからが囲い込みというのでしょうか。たとえば、どの宗教にもその宗教独自の教えや信念があるはずです。当然、それを信じる人は、自分の子供にもそれを信じてほしいと思うはずです。また、そのために自分たちの学校を設立して子弟を通わせる宗教団体も世の中には存在します。それは子供の囲い込みにあたるのでしょうか。それとも正当な教育活動なのでしょうか。
あるいは国家は国民を教育するために特定の歴史観に立った歴史教育を行う場合があります。それはその国家自体がカルト集団ということになるのでしょうか。
そのように考えてくると、カルトとそうでない集団の基準というものは、場合によっては適用がとても難しいように感じられるときがあります。
ただ、そうであるとしても、このフランスでの基準はカルトを見分ける上で大変参考になると思います。
もしこれらの基準に加えるとするならば、あと二つほど挙げることができると思います。
一つは、その宗教団体に入信または退会する場合、本人の意志を尊重してくれるかどうか、やめたい人をあらゆる手段を使ってとどめようとしてはいないか、逆に信じたくないと言っている人をあらゆる手段を使って、入信の強要をしていないか、とくに恐怖心をあおって入信を勧めてはいないか、これはカルト宗教とそうでない宗教を区別する一つの目安になると思います。
もう一つのことは、キリスト教会にだけ当てはまることかもしれませんが、残念ながらキリスト教会にもカルト集団化している教会がないとは言えません。その最大の特徴は、その集団の指導者が神の地位にのし上がり、自分を神の代理人として、絶対の服従を信徒に求めることです。
先に挙げた10の基準に加えて、これら二つの特徴が顕著な宗教団体には注意をした方がよいでしょう。
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