ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
ある方が、「神様に祈ることができるのはありがたいことだ」と申しておりました。わたしもそれを聞いて本当にそうだなぁと思ったことがあります。どのようなときも語りかけることのできる神様がおられることは本当に幸いなことです。
誰にも言うことができないような罪を犯してしまったり、困難の中に陥ってしまったとき、私たちは「天の父なる神様」と祈ることができます。神様の御前に赦しを乞い、神様に悩みを訴え、願い事を申し述べるのです。そして、その際大切なことは、イエス・キリストの御名によって祈るということです。新約聖書のヨハネによる福音書第16章(23節)でイエス様は次のように言われています。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる」。
イエス・キリストの御名によって私たちが祈るとき、父なる神はそれをイエス・キリストの祈りとして聞き入れてくださいます。しかし、それは私たちの願いが何でもかなえられるということではありません。なぜなら、イエス・キリストの御名によって祈るとは、イエス・キリストの御心に適ったことを祈り求めることであるからです。イエス・キリストの御名によってイエス・キリストの御心を求めて祈ること、ここに神様が私たちの祈りを必ず聞き入れてくださるとの確信が生まれるのです。