いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
クリスマスにイエス・キリストがベツレヘムでお生まれになった時、街は多くの人々でにぎわっており、ゆっくりと静かに誕生を迎えることは出来ませんでした。それどころか、何とイエス・キリストが生まれたところは飼い葉桶だったというのです。いくらなんでもこれはひどすぎるのではないか、でも、それが現実でした。
このことを聖書は「自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)と言っています。けれども、そこはイエス・キリストにとって、むしろぴったりな場所だったのかもしれません。冷たく、暗く、人々から顧みられない、しかし、そのようなところこそ訪れるべきところでした。なぜなら、イエス・キリストは救い主だからです。
どんなに人々に受け入れられないとしても、そここそが救い主が必要なところです。のちにイエス・キリストは「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」(口語訳マタイ9:12)と言われました。この病気は肉体的なことだけでなく、もっとその根本にある深いもの、それが聖書の語る罪です。これは神の教えに従えないことで、自らを滅ぼしていくものです。だからこそ、この解決のために、罪からの救い主が最も暗いところへと来られたのです。
クリスマスに飼い葉桶に生まれられたイエス・キリストをしっかりと見つめ、この方こそ罪からの救い主であることをしっかりと心に刻んで行きましょう。