いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
今日は気持ちのいいお天気ですけれどちょっと寒いですねとか、今にも降りそうですね、などとご挨拶できればいいんですが…。残念ながら生放送ではありません。今日は「今日」ではなく、従って「今日」のお天気はわからないというわけです。実は、今日は9月7日の火曜日なのです。3ヶ月以上も前に録音して、丁寧に編集されているというわけです。9月7日に録音して、放送日の「今日」までにわたしが死んでしまったら、さて今日のこの放送はどうなるんだろうかと考えてしまいます。
でもそのときは、わたしは天国にいます。それはわたしの勝手な思い込みではありません。神様のお約束ですから、わたしでも断言できるのです。新しい永遠の命を喜んでいますから、放送はぜひしていただきたいですね。
でも、体の弱さや年老いること、死のことを思います。そうした弱さや労苦を持ったままの永遠の命なら願い下げです。つまり、永遠の命が終わりのない命というだけなら、長生きするのはごめんです。
聖書には、天国では神様が共にいてくださるので「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」とあります(黙示録21:4)。それは悲しみがないというだけのことではなく、生きることを喜び楽しむことができるという意味です。地上で神様との交わりを持つ人は、地上で人生が終わるのではなく、もっと豊かな、幸いに満ちあふれた、もう一つの人生を送ることができるのです。地上の人生ももちろん大切ですが、永遠ということについてぜひ考えていただきたいと願っています。