いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
平均寿命が随分延びました。でも150歳、200歳と生きることはできません。病気や死はなぜあるのだろうと思います。
リュートという、ギターに似た楽器に入ったひび割れで、かえって音色がよくなった、という興味深いお話を聞いたことがあります。楽器のひび割れなんて致命的だと思うんですけれども、そうではなかったのです。わたしは老いて行くこともこのひび割れのようだと思います。誰にもやってくる老年、病気に障碍。そして遂に迎える死…。でもわたしたちが楽器であれば、そのひび割れによって質を高めることができる音色があります。わたしたちの人生のことです。
いえ、わたしは悟りとか、練り上げられた人格とかのことを言っているのではありません。新しい人生、新しい命のことを言っているのです。ひび割れはない方がいいのかも知れません。しかしそれがきっかけとなって、神さまに向かうのなら、それはとても幸いなことだと思うのです。永遠の命が得られるのですから。
教会員の方で、脳腫瘍で亡くなったご婦人がいらっしゃいました。彼女はある時、わたしに話してくれました。「傲慢なわたしは、この病気がなかったら、神さまを求めなかったと思います。だから病気も神さまの恵みと思い、今は感謝です」と。ひび割れから、一人のクリスチャン、永遠の命を持った人が生まれたのです。このご婦人は御自分のひび割れを通して、見事な讃美歌を奏でたのです。そうであれば、死ぬことに定められているわたしたちの体と命も、重荷ではなくすばらしい楽器となります。ひび割れを、新しい音色に変えるのは、心の持ち方や、修行ではありません。神さまとの交わりです。