ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
旧約聖書・詩編23編は、次のような言葉で始まります。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」。神様は私の羊飼いのようになってくださるので、私には何も欠けることがないというのです。それならば、すべて順風満帆かというと、そうでもありません。さらにその詩編23編は言います。「わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」。苦しみがなくなるとは言いません。苦しめる者は前にいるのです。しかし、そういう中でもなお羊飼いのような神様に守られて、平安があるというのです。
こんなことも書いてあります。「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」つまり、死に赴くような場合であっても、神様が共にいてくださるから大丈夫だというのです。
私たちは目の前の苦しみや問題を取り除いてくれたら、確かに神様が助けてくださったと信じられる、そう思うことがあります。しかし、あいかわらず苦しみや問題があると、神様はいないのではないか、あるいは自分のことは見捨てているのか、などと思ってしまいます。けれども、詩編23編は、むしろ苦しみや問題がある中で神様が共にいて守ってくださっている、と言います。弱い羊を守る羊飼いのように、守り、導いてくださっていると言います。逆に言うと、神様が共にいてくださるので、苦しみも問題も、そして死に赴くときも、大丈夫だというのです。神様はあなたの羊飼いにもなってくださいます。