いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ヨハネ第一の手紙 1章1節、2節に次のように記されています。
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。―この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」
ヨハネ第一の手紙は、実際に耳で聞き、その目で見て、よくよく調べ、手でも触ったものについて伝えるのですよ、と書いてはじまっています。では、実際に聞いて、見て、さわったものとは何なのかというと、命についてであると書いています。呼吸しているから生きている、さわると暖かいから命がある、ということはわかります。しかし、命そのものを見たりさわったりすることができるでしょうか。しかも永遠の命です。
この永遠の命とは、イエス・キリストのことを指しています。イエス・キリストは十字架の死と復活により、死の力を無力にしました。それは、ただご自分が復活したというだけでなく、信じる者を永遠の命にあずからせるためです。聖書を読むと、キリストは、死から復活して弟子たちに現われ、教え、共に食事をとり、親しく交わることをなさったと書いてあります。
このことは、ご自分が復活したことを教えるためだけでなく、信じる者に与えられる永遠の命をはっきりと示すためでした。それで聖書は、永遠の命から聞いた、見た、触れたと書いているのです。どうか、キリストを信じて、この永遠の命にあずかって下さい。