いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
昔から「ただより高いものはない」などと言われます。人からただで物をもらうと、その裏に何かあるのではないか、どんな見返りを求められるのだろうかと疑ってしまいがちです。
しかし、疑うことなく、本当にただでいただくことができるものがあります。それが聖書の語る救いです。私たちには誰もが自分の力では拭いきれない罪を持っています。罪と聞くと自分には関係ないと思われるかもしれません。確かにこれには日常の犯罪ということも含まれていますが、もっと深いものです。「罪」とは的外れという意味でして、何から外れているのかといえば、それは聖書の教えです。この聖書はすべてのものを造られた神の教えです。この言葉に自分自身を当てはめた時にどう思われるでしょうか。まことにそのとおりと全部受入れることが出来るでしょうか。むしろ、このようなことを言われても無理だといろいろな言い訳を言って、反発をするのではないでしょうか。
これこそ、私たちの持っている的外れである罪です。そしてこの罪のために死があるのです。そこでこの罪からの解放のために、刑罰の身代わりになってくださったのが、十字架にかかってくださったイエス・キリストです。これは私たちが何かをしてではなく、ただでいただけるものです。あの十字架が私の身代わりであったと信じること、これだけでいただけるものこそ、聖書の約束している救いです。