ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書ヘブライ人への手紙4章2節に次のような言葉があります。
「わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。」。
聖書の言葉、神様の言葉が役に立つかどうかは、それを聞いた人が信仰をもって自分に結びつけるかどうかにかかっているというわけです。聖書の教えを人ごととして受け止めるか、それともまさに自分のこととして受け止めるか、ということです。逆に言うと、聖書の言葉を自分のこととして受け止める、それが信仰だと言ってもいいでしょう。聖書が命令していれば、ちゃんと従う。聖書が警告していたら、本当にそれを怖れる。聖書が約束していたら、それは本当にそうなるのだと信じる。そのように受け止めるのが、信仰だとも言えます。
聖書の中には、神様の言葉を自分に結び付けなかったために、せっかくの恵みを失ってしまった人たちのことが、色々と記されています。反対に、神様の言葉を我がこととして結び付けた人たちが、どんなに祝福されたかということも、色々と記されています。
神様の言葉は、今、聖書という形で目の前にあります。その神様の言葉が本当に役立つためには、聖書の言葉を自分のこととして結びつけていかなければなりません。神様の言葉である聖書が、他でもないあなたの上に実現していき、役に立つためには、あなたがそれを自分に結び付けるかどうかにかかっているのです。