ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
昔のイスラエルには、次のようなことわざがあったと、聖書に書いてあります。
「先祖が酢いぶどうを食べれば 子孫の歯が浮く」(エゼキエル18:02)。
先祖が酸っぱいぶどうを食べると、その影響で子孫が歯が浮くように感じる、というのです。何のことわざかというと、先祖が何か悪いことをしたら、その影響が子孫に及ぶということです。言ってみれば先祖のたたりというようなものでしょうか。こういう考え方は、いつの時代どこの世界にもあるのかもしれません。しかし、そういう考え方に対して、神様はそれをきっぱりと否定されます。先祖がどうのこうのという問題ではなく、本人が正しいか悪いかの問題だと教えます。
聖書は記します。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか」(エゼキエル18:23)。
つまり、本人が正しいか悪いかが問題であって、たとえ悪い人でも、その本人が立ち帰るならば、それを神様は喜んでくださり、赦してくださるというのです。神様は悪人がそのまま滅んでしまうことを喜ばないというのです。むしろ悪人が立ち帰って救われる、そのことを望んでおられるというのです。
立ち帰るというのは、ただ悪いことをやめる、というだけではありません。神様のところに立ち帰るということです。神様のところに立ち帰って、神様と共に生きるようになる、ということです。先祖がどうのこうのとか、生まれ育ちがどうのこうのとか、そういうことは関係ありません。その人自身が神様に立ち帰るかどうかが問題なのです。神様は、どんな人でも、立ち帰ることを望んでおられます。