いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。
詩編5編8節からです。
「わたしは、深い慈しみをいただいて
あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し
あなたを畏れ敬います。
主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き
まっすぐにあなたの道を歩ませてください。」
ここには、聖なる神殿に入って礼拝をささげようとしている信仰者の思いが、とてもよく表されています。この詩人は、「主なる神の深い慈しみによって神の家に招いていただいたのだ」という喜びと感謝にあふれています。
しかし同時に、「このような自分が本当に聖なる神の前に出てもいいのか」という畏れの念もいだいています。喜びと畏れとは普通相対するものですが、このようにその両方を共に深くいだいているのが、詩編の信仰者たちの特徴です。
これは、主なる神ご自身が、畏れ敬うべき聖なる義なる神であられると共に、取るに足りない者をも受け入れてくださる憐れみ深い愛の神でもあられるからに他なりません。もし聖なるだけの神であったならば、近づくことさえできなかったでしょう。もし憐れみ深いだけのお方であったならば、信じ切ることまではできなかったでしょう。
しかし、憐れみ深くかつ聖なる神、義であり愛でもあられる神であるので、私たちは畏れ敬いつつ感謝と喜びをもって心から信じ、ひれ伏すことができます。これが聖書の神であり信仰なのです。