いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。
詩編1編1節からです。
「いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。」
旧約聖書の詩編には150もの詩が収められていますが、その第1編の最初の言葉は「いかに幸いなことか」です。これは聖書の宗教の特徴をとてもよく表しています。キリスト教は、これこれの戒めを守れば救われますと条件を示し、がんばってその条件を満たすよう叱咤激励するような宗教ではありません。
最初に主なる神様の方から、「あなたたちは幸いだ」とおっしゃってくださり、私たちに自分が幸いであることに気付かせてくださる。そして、「私と共に歩んでいこう」と導いてくださる。キリスト教はそういう神の恵みの宗教です。
ただ、幸いなのは、皆というわけではありません。「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」だけです。ここで大切なのは、主の教えを守る人とは言われていない点です。つまり、たとえ今まで守るどころか道から外れていた人でも、やっとわずかばかり守り始めたにすぎない人でも、主なる神を信頼し、主の教えを座右の銘として歩んでいこうとしている人なら、皆、必ず幸いへと導いていただけます。つまり、聖書を通して主なる神の恵み深い教えを知ること。これが幸いになるための秘訣なのです。