いかがお過ごしですか。草加松原教会の千ヶ崎基です。今日も、神様の御言葉に目を向けていきましょう。
あるとき、イエス様は善きサマリア人の譬え話をされました。ある人が追いはぎに襲われ、服やお金を奪われ、身体を傷つけられ、瀕死の状態になりました。その人の側を祭司、レビ人という宗教家たちが通りかかるのですが、見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまいます。しかし、当時、敵対関係にあったサマリア人という人が通ったとき、その人を憐れみ、傷を手当し、宿屋で介抱したのです。
このサマリア人は、自分の敵対者である相手を愛しました。本当に人を愛するということは、自分の敵対者と思えるような人をも愛するということです。そんなこと自分には出来ないと、私たちは思います。でも、聖書の勧める隣人愛に生きる道筋があります。それは、神様の愛を知ることです。神様の愛は、イエス様の十字架を見ることで知ることができます。
私たちが自らの罪、弱さを神様の前に素直に認めて、十字架の意味を、つまり私たちの罪を赦すためにイエス様が十字架の上で死なれた。そして、私を赦し、受け入れてくださるということを信じるとき、罪赦された喜びに溢れ、私たちは隣人を愛することが出来るのです。時に人を愛せないことがあったとしても、神様に罪赦されるという愛に気づき、立ち直れる。そこに大きな希望があるのだと思います。