いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
聖書の中には、たびたび羊飼いや羊が出てきます。それだけ毎日の生活の中で身近な存在だったのでしょう。残念ながら、現代の私たちにとってはそうではありません。でも、たとえそれほど親しみがなくても、聖書は力強く今日の私たちに語ってくれています。それがイエス・キリストの言われた「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)という言葉です。
私たちは一人として自分の命を自らの力で作り出すことは出来ません。命はただただ造り主なる神様が御自身に似せて心を込めて造ってくださったものです。それにもかかわらず、人はこの神様の思いを裏切ってしまいました。自分が造られた存在であることを忘れ、まるで造り手であるかのように傲慢になってしまったのです。それはせっかくの命を失ってしまったかのような状態です。それを罪といいます。
この罪があるからこそ、先ほどの言葉を語られたイエス・キリストが、御自身の命を捨ててくださいました。それが十字架です。捨てるといっても粗末にしたのではありません。その命をかけて私たちの罪を清算し、私たちの命を本来のものにしてくださいました。これこそ良い羊飼いの働きです。イエス・キリストが良い羊飼いとして命を捨ててくださったからこそ、私たちは命輝かせて生きることが出来るのです。