ご機嫌いかがですか?上福岡教会の木村恭子です。
私たちの地上での命には終わりがあります。私たちの体はいつか必ず死を迎えます。普段の生活の中では、ほとんどそのことを意識しませんし、無意識のうちにそのことから目をそむけているのかもしれません。ですが、身近な人の死に直面した時など、改めてそのことを思わされます。
ところで、新約聖書の中でパウロという人はこのように言っています。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」コリントの信徒への手紙二 5章1節です。
「幕屋」とは、テントのようなもので、長く住むのには適しません。ですから「地上の住みかである幕屋」とは、いつか死を迎える私たちの肉体のことを指していると考えられます。しかしパウロは、私たちの肉体が滅びても、神は「永遠の住みか」を備えておられると教えます。
確かに、私たちはいつか死を迎えます。ですがそれで全てが終わるのではありません。聖書は死を迎えた後も、私たちの魂が神と共に永遠に生きる道があることを教えています。それだけでなく、やがて、死ぬことのない永遠の体へと復活することまでも教えているのです。あなたにも、「神と共に永遠に生きる道」を知っていただきたいのです。